「だらぼち」というのは、能登の方言で、「要領が悪くだら(アホ)だけど、真っ正直に生きようとする人」という意味です。今回『だらぼち音楽祭』に集まったのはそんなだらぼちたちといえますが、イベントを通してみると、どうやら私たちはその言葉の定義を改めなくてはならないかもしれません。「とにかく熱くていい仲間」という意味に。
5月16日土曜日、快晴。5月にしてはちょっと暑すぎるくらいの太陽が、ご褒美のように会場を照らしています。10時の開場ギリギリまで準備は行われていました。
直前にはスタッフの全体朝礼が行われました。3人の主催者のひとり、辻野実は「全国からだらぼちが集まります。すてきな能登を見せつけよう!」と鼓舞しました。
その後、松波神社の神主による御祈祷が行われました。だらぼち音楽祭は音楽フェスですが、イベント名のとおり、祭りの精神が通底しています。祭りの国、能登である矜持を忘れることなく執り行うことができました。
会場となったのはビールのブルワリーが併設されているレストラン〈日本海倶楽部〉の敷地で、3つのステージを設けました。メインとなるのは里山ステージ。ステージの後ろにはひたすら青空が広がるのみ。足元は芝生で、踊っても、寝そべっても気持ちがいい。後ろのほうで木陰に佇みながら揺れる人や、もう完全に夢の中(笑)という人もいました。
次に海沿いの里海ステージ。階段もありますが、ローラーコースターが設置してあり、子どもも大人も楽しく滑り降りていきます。海岸線の両サイドは入江のように囲まれていて、とても静か。しかも上からしかアクセスできない、まるでプライベートビーチ。海を眺めるようにテーブルが並べられています。そこでサンセットの時間に当日限定のオリジナル「だらぼちビール」を飲む人たちの後ろ姿は、写真映えナンバー1。
そして入口付近のトレーラー内にDJブースを設置した、だらぼちディスコ。手作り野外フロアのような雰囲気で、ブース前のテント下にはミラーボールが回りきらびやか。周囲を出店が囲んでいて、小さいながらも一体感を生んでいるようでした。ベンチも置かれ、ちょっとコーヒーを飲んだり、軽食を食べながらDJプレイを堪能できる場所になっています。
音楽祭開始の狼煙は、彌榮(いやさか)太鼓! 能登町宇出津地区に受け継がれてきた伝統芸能の一打で、高らかに開始を告げてくれました。太鼓で始まるあたり、祭りの開始にふさわしい演出です。
里海ステージではYoshiharu Yoshidaが、だらぼちディスコではHATAKE JUNKIEがスタートし、だらぼち音楽祭の本格的な始まりです。
11時になると、タテタカコさんのライブが静かに始まりました。日は高く日差しは強いですが、時折吹き抜ける風が気持ちいい。それを感じるように、みんな芝生に座って鑑賞しています。「誕生日」や「本を閉じる」など、ピアノ弾き語りながらやさしいだけではない、力強い歌声に引き込まれました。
祭りには欠かせない切腹ピストルズの時間が近づいてくると、わらわらと里海ステージに人が下りてきます。海側から法螺貝が聞こえてくると、太鼓や鉦が鳴らされ徐々にヒートアップ。BPMが上がってくると、この日唯一のモッシュピットが形成され、演者も太鼓を持ったまま担ぎ上げられる始末。だからといって危険なことはまったくなく、周囲に気を使いながらモッシュするという「やさしいパンク」となっていました。総隊長・飯田団紅さんが「転んでいる人がいたら起こしてあげて」と言い、カオスUK「NoSecurity」のカバーを披露することがそれを物語ります。セキュリティなんていなくても大丈夫。ここはストレスを発散する場ではなく、能登に優しさを持ち寄る場ということが、みんなの行いからもわかります。
「始まってすぐに思いっきりやれるお客さんの空気感があって、逆に我々が突き動かされてしまいました。『きょうはすごく盛り上がった』とメンバーみんなが言ってますよ。半島の先にいろいろなパワーが集まっているから、濃く凝縮したのではないでしょうか」(切腹ピストルズ 飯田団紅さん)
弥榮太鼓のステージでは、一番前で見ていた飯田さん。「疫病退散のために八坂神社で叩いたという伝説がいいですね」。こうした太鼓は、切腹ピストルズの趣旨のひとつでもあると言います。
嵐のような切腹ピストルズが終わると、すぐさま次の刃頭が始まりました。本来はセットチェンジが5分間とられていたのですが、本人の判断ですぐにスタートすることに。
「切腹ピストルズが盛り上がることはわかっていたので、もう少しうまくつなげられたらよかったとは思いますけどね。でも楽しかったです」(HAZU/刃頭)
刃頭さんは震災後すぐに、当時温めていたミックスCD『DON’T LOOK BACK』のデータを辻野に譲渡しました。それをNOTONOWILDから発売し、売上金はすべて復興支援金として寄付されています。そんなつながりのなかで、絶対に能登に呼びたいという想いが今回実現しました。
「声をかけてもらって、待ってました! と。来年もぜひ来たいです」(HAZU/刃頭)
飲食店にすごくたくさん出店してもらいました。鳥居のようなゲートから入ると、社に向かう参道の露店のように、両サイドにお店が並んでいます。ハンバーガー、カレー、パン、たこつくね、串焼きなどの食事はもちろん、ドーナツ、シフォンケーキ、クレープなどのスイーツ系も。お酒もコーヒーも揃っています。昼頃になると、各店舗が賑わってきました。
注目は発酵ヌードルレストラン。能登が誇る発酵文化を生かしたこの日限りのスペシャルメニューを、能登の有名な飲食店が開発。〈L’Atelier de NOTO〉が「能登牡蠣のまぜそば」を。〈ふらっと〉が「3年物のこんかいわしと能登産椎茸トマトソースの生パスタ」を。〈Villa della pace〉が「能登の山菜ぶっかけ味噌蕎麦」をふるまってくれました。
このエリアは昼頃からはずっと人で賑わっていて、普段、簡単には行けないお店の特別ヌードル、しかも能登の発酵文化が組み合わされているということで注目度は高く、ライブと同じくらいこの麺食を目当てに来ている人もいました。
会場にはたくさんの子どもたちの姿がありました。青い空の下、元気に走り回る子どもたちを安心して見ていられます。キッズエリアには巨大な竹のジャングルジムが組み上がっていました。熊本から来たゲンさん率いる〈Team Gen〉が1週間前から能登入りし、現地で竹を調達するところから開始。合計80本の竹を伐りだして材料として使いました。
大人が登っても耐久性は大丈夫。むしろ竹なのでほどよくしなり、衝撃を受け流してくれる。豊かな自然を誇る能登の材を使うことで、その自然素材の可能性を子どもたちにも教えてくれるような遊具です。
すこしだらぼちディスコのほうに戻ってみると、DJブースから飛び出して、フロアでマイクを持つラッパーがいました。泰尊/TAISONGです。旅を続けながら各地でライヴを行う彼にとっても、能登の地は特別なものになったよう。途中、前に出過ぎてマイクケーブルが抜けるなんてトラブルがありましたが、そんなことは気にも止めず、マイクなしで歌い続ける。生の声で、より気持ちがこもる瞬間になりました。
里山ステージの横には「橋の下ブース」を設置しました。愛知県の豊田市で開催されている『橋の下世界音楽祭』。熱狂的かつコアな人気を集めているフェスです。この運営チームは災害支援にも積極的で、能登半島地震のときにも「チーム橋の下」としてボランティアにかけつけてくれました。その流れで、2024年の『橋の下世界音楽祭』では「奥能登横丁」が設けられ、能登町のキリコが会場で担がれました。今回、会場の中央にシンボル的に鎮座している“再生キリコ”が、まさにそれなのです。
ブースには被災支援の記録写真の展示のほかに、能登町に壁画を作り上げる「NOTO ARTS PROJECT」のコーナーも。
『橋の下世界音楽祭』立ち上げ人であり、タートル・アイランドのボーカルである永山愛樹さん、そして同メンバーの竹舞さんからなるデュオ、ALKDOのライブが始まります。二人とは思えないパワフルなステージ。永山さんのかき鳴らすギターと奥底から響いてくるボーカル、そして立ったままドラム(太鼓)を叩き、足に結んだ鈴を鳴らすために常に右足を上下し、さらに煽りながら歌う竹舞さん。
「支援というよりは行きたいから来ていたけど、特にこのだらぼち音楽祭を通して、仲間になっていけたのがすげえうれしい。復旧過程からこの祭りまで関わって、自分たちの未来とシンクロした気持ちにもなりました。だから長い目でずっと一緒にやっていきたい。俺らはもう出会ってしまったわけだから。祭りの国は負けんでしょ!」(永山さん)
「橋の下世界音楽祭に来ていたキリコが、ここにも置いてあって、つながっていると感じました。能登大好きなので、私は祭りをやるならば全力で手伝いますし、こっちにもまた来て一緒に手を取っていきたいと思います」(竹舞さん)
竹舞さんがステージ上から「だらぼち音楽祭、おめでとう!」と言った言葉が印象的に響きます。フェスに対して言うのは珍しいことですが、震災後にここまで開催できたことが「おめでとう」に値することなのだと、アーティストから教えてもらいました。
会場内には、里山ステージのトリであるTHA BLUE HERBのTシャツを着ている人が目立ちます。ゆっくりと薄暗くなってきた頃にTHA BLUE HERBが始まりました。
「俺が出ていく段階ではもう空気ができ上がっていましたね。設営とかの準備段階からどんどん積み上がっていくものだから、高まったところの最後に言葉を添えさせてもらっただけ。完全にバッチリだった」(ILL-BOSSTINOさん)
言葉をすべて逃さまいと聞き入るヘッズ、ハンズアップで応えるオーディエンス。BOSSさんの言葉は、いつも鋭くて優しい。
「どんな一言が残るかというのは、きっかけに過ぎない。やるヤツはもうやっているし、やらないヤツはやらない。だから背負い込んで、自分の人生をないがしろにするのは違うと思います。能登の人はみんな楽しいことをみつけて、笑って。自分の気持ちが健康でハッピーじゃないと、人に対して何かをやってあげたいという気持ちにはならない。だからみんなそれぞれ幸せになって、こういう夜をまたつくっていけばいいんじゃないかと思います」
THA BLUE HERBには、全国で支援を続ける人たちに向けた楽曲『スーパーヒーロー』という曲があります。このMVが2024年3月に公開されました。このタイミングでのリリースに、能登の人たちは大きく勇気づけられてきました。
ライブ中にどんどん日が暮れて、提灯にも火が灯ります。最後はBOSSさんがフロアまで下りてきて、同じ目線で『未来は俺等の手の中』を合唱。
設営から当日の運営、そして撤収まで、たくさんのボランティアに支えていただきました。どの局面でもみなさんサクサクと動き、わからないことなどは声をかけ合って動いているのが印象的でした。初回ということで、過去のルールはありません。それだけにみんなが自分で考え、行動できる。まるで能登の地域性を表しているようです。
主催者のひとり、辻野実は「こんなに大きな震災があっても、能登はひとつにまとまりきらなかった」と言います。それはネガティブな面だけではありません。それぞれの地域に祭りが根ざし、しっかりとコミュニティが形成されているから、個性が強い。無理やりまとまらなくても、自主的に行動できる人たちです。
とはいえ、大きなアクションも必要で、越境しやすい若手主催者3人(珠洲市、能登町、七尾市)でぶち上げた祭りがこの「だらぼち音楽祭」。この祭りに、オールだらぼちの力を結集することができました。
どの場所にいても、のんびりすることもできるし、ライブに参戦することもできる。拳を突き上げてもいいし、ダンスしてもいいし、レイドバックしてもいい。何をしていても怒られないし、訝しがられない。会場全体に、そしてみんなの心の中に、ピースフルなヴァイヴスが満たされていました。
ラストにはだらぼちDJ’sとクレジットされています。主催者の糸矢章人、辻野実、小山基の3人がDJです。これが裏メイン。3人から感謝を伝えるように曲が贈られ、それに応えるように踊るオーディエンス。特に運営やボランティアなど関わりの深いメンバーがギュッと集まっています。この光景は胸を打つものがありました。最後の主催者からのメッセージでステージは締まります。
「関わってくれたスタッフ、そして今日ここに来てくれたみなさんと一緒に、未来を作ってくんやなということを、この祭りを通して本当に体感できました」(小山基)
「自分たちの足で立ってやるって言いつつ、いろいろな人におんぶに抱っこで。これができたことで、一歩踏み出せた気がします。みんなまた能登に来てください。めちゃめちゃいいとこやって分かったしょ」(糸矢章人)
「だらぼち音楽祭は、僕たちの復興の礎です。僕たちが思う復興とは、物が建ったり人がたくさん来ることではありません。僕たちが誇りを持って幸せに、大好きな能登で住み続けること。そして子どもたちがずっと好きでいてくれる。そういう能登をつなげていくことです。復興はまだまだこれから。みなさんは今日、目撃者になったので、これからは関係者です」(辻野実)
今回は出演者も、支援してくれた方も、ボランティアで参加してくれた方も、応援の気持ちがあったでしょう。それを3人は真摯に受け止め、新しいカルチャー・目的地を祭りという形でまとめ上げました。来年、再来年、そして10年後、本物のカルチャーとして成熟していくための大きな一歩にしていかなければなりません。
最後に、糸矢の言葉で締めます。
「うちのばあちゃんが『だらにかまうもんは、みんなだらや』とよく言ってました。俺らみたいな『だら』にかまったみなさんはもう全員だら!」
制作・編集
だらぼち音楽祭Official Media Crew
Text by
Tomohiro Okusa
Photos by
Yuu Takagi / 横山愛海 /Tetsuro Yamamoto
越守栄次郎 /Ryuichi Okamoto /西海一紗